『桜の季節が良いな』



出来れば満月の、と。

9月29日。

余命幾ばくもないと宣告されていた俺には、二度と迎える事はないだろう日。

その頃、徐々に秋めいてきた病室の外には紅葉し始めた桜が立っていて、

まだそれは葉を散らすには早く、夏の色を残し白く乱反射する木々にひっそりと立ち混じって。

時折、思い出した様にさざめいては存在を主張して、遠く思える春の姿を思い起こさせていた。



『・・・・・・西行法師みたいですね』



―――――ぱちり。



もう日課となり、見慣れてしまったろう白い病室への訪い。

手馴れてしまった、初めこそは危うい手付きだった、花を生ける長太郎の大きな手。

銀色の髪を傾げて言葉の真意を問うまでも無く、また、思った程動揺する事も無く。

特徴ある眉をほんの少しだけ歪めるだけに止めて、持参した花束から新しい花を一輪抜いた。

慣習のお陰か、はたまた惰性なのか滞りなくその手は動き、ぱちり、と音をさせて携えた薄桃の花の茎をはさみで切り離して。

この後輩は昔授業で習った詩の詠み手の名だけを応えの代わりとしたのだった。



―――――ぱちん。



汲み取った終わりの言葉に、双方が、特に俺が恐慌を覚えなくなったのはいつの頃か。

そんなに昔の事ではないだろう。

彼さえも今では、最期が穏やかであれ、と。

ひと時でも永く永く宍戸さんの傍に居たい、とだけを思うのだと言ってくる。


         陽が沈むのを嘆くばかりでは貴方に失礼でしょう? 

         せめて俺に出来る事は、残された時間の全てを俺の全部を使って幸せにする事位なんですから。


確かそんな事を、コイツらしい睦言めいた言葉で語ってきた。いつもの困った様な微笑と共に。



―――――ぱちっ。



けれど理性では納得する様に至ってはいても、

生を失った小さな茎の欠片が床へ落ちて転がっていく様を無意識に淡い茶色の眼は追っていて。

自分の中で整理をつけたとは言え、やはり思考が停止しかけている様子は、

俺の言葉は何よりこの後輩には重いままなのだと、改めて思い知らされて苦笑が漏れた。

間違えているだろう、多少の優越感もこめて。



『宍戸さん?』



―――――かた、ん。



不意に小さく重い金属音が響いた。

恐らくはその笑いが知らず知らずの内に音になっていたのか。それとも何か違和感でも感じたのか。

行儀良く鋏を花瓶の脇に置くと、今度こそ不思議そうに、そして不満げに小首を傾げた。

その様はいつもより幼く見えて、思わず笑みが深くなる。



『何だよ』

『何笑ってるんスか』

『お前、可愛いなぁと思ってさ』

『・・・・・・嘘ばっか』

『嘘じゃねぇって』



俺の一言で動揺出来るお前が可愛いのは本当だよ。



『・・・・・・どこら辺が?』

『ん〜・・・・・・俺の誕生日に花携えてくっとこ?』



―――――でもそれは言わないけどな。

俺は活けられた薄桃の花を見遣った。

流線を描く青色の細い花瓶に映える、桜よりは濃い色合いの花を。

遅れて淡い茶色の眼が続く。



『そう、ですか?』

『そうだよ』

『買い被りすぎですよ』



謙遜と苦笑。

何を考えているかは知らないが、この状態の後輩ではなかなか真意は伝わらないから『来い』と指で呼び寄せた。

おずおずと、それでも大人しく従う姿は何処か犬を思い起こさせるもので微笑ましかった。



『俺が嬉しいから良いんだよ・・・・さんきゅな』



首に腕を回して、自分より一回り大きい身体を抱きこんで。

体温が感じ取れるくらい近くで嬉しさを伝える。

そのまま触れるだけに口唇を重ねれば、ゆっくりと瞼の下に消えるのはとろんと融けた薄茶色。

それに倣って俺も眼を閉じた。

そうすると、闇の中で音と暖かさだけが判るようになる。

ざわざわと鳴る葉。刻まれる秒針。

静かな静かな音。

遠くで笑い声らしきものも聞こえてくる。
                                  
本当の安息ゆめとはこういうモノなのかも知れないと、この一瞬を何処か遠い出来事の様にも感じた。



―――――すり・・・・



―――――あぁ、またか。

放っとけば暫く融けていただろう思考を呼び戻したのは、首筋を撫でる長太郎の指。

くすぐったい感触を与えるそれは、暫く彷徨えば或る1点の、心臓に程近い血管に落ち着いた。

まだ生きている、と。

確かめるように、知らしめるように。

ただ、命の音を、聴く。

まるで何かの神聖な儀式のように。

窓の外以外、あまり変わり映えのしない日々の中で。

気付いた時には、こうして触れ合う度にこの指が肌を滑った。

恐らくは無意識だろうその仕草に、『まだ大丈夫だから』と言う代わりに髪を撫でると、

お返しのつもりなのか無邪気に俺の髪を梳いてきた。

―――――この手の意味になんて、気付いてないんだろうな。

出来れば最期まで気付かないで欲しい。

自惚れなんかじゃなく俺の為に、必死になって自分を騙して、取り繕っているから。

その努力を無駄にしたくはないし、それでお前の気が済むんなら、俺は気付かないでいてやろうと。

だから最期までそれを、仮令上辺だけでも、貫かせてやりたかった。



『!?』

『ご褒美、終わりー』



最後に、ちろ、と唇を舐めて放してやると油断していたのか勢いよく離れていく。

その動揺具合を恥じたせいか、何なのか。ほんのり染まったのは頬。

先程まで命を計っていた指先はあっけなく、けれど気付くことなく、今は口元を抑えていた。

―――――お前はそれで良い。



『・・・・・・ご褒美だったんですか?』

『何だよ、嫌だったか?』

『まさか』



嬉しい。

と、お返しにまた柔らかな感触が唇を掠めていく。

さっきは自分から仕掛けたとは言え、

音すらも立たない、色事に発展しない不意打ちのキスが何故だか妙に気恥ずかしくて視線を逸らせば、

あの名も知らない花が中途半端に活けられたままで所在無げにしているのが眼に入った。



『ほら、枯れんぞ』

『・・・・はぁい』



何だ、その間は。

寧ろその抑えきれないって感じの笑いは何だ。

大人しく離れても、何か納得がいかない。

じぃっと睨んでいる中で奴は平然としていて、もう鋏は使わずにぽんぽんと茎の隙間に花を挿していた。

何処に拘っているのか判らないが、暫く微調整を繰り返して。



『・・・・よし、完成。如何ですか?』

『ん。上出来』

『でしょう? じゃあこれ捨ててきますね』

『おう』



もともとセンスは良いのだから、慣れてくればなかなか様になる。

無駄に拘っただけあって見映えが良い。

素直に褒めると、上機嫌で床に落ちた茎やら花の包み紙やらをがさがさと一所に集めた。

一緒に溜まっていたゴミ入れの中身も、何処かのスーパーの白いビニール袋の中にてきぱきと纏めていく。



『あ、宍戸さん』

『何だ?』

『ついでに何か買ってきますよ。飲み物、切れてたし。他は何が良いですか?』



そういえば冷蔵庫の飲み物が切れていたような気がする。

ゴミ袋の口を縛りながら問う気の利く後輩に、所帯じみているなぁとぼんやりと思う。

これも俺との同棲生活の賜物なんだろうか。



『だったら俺も行く』



この病院は設備が充実してるだけあって、患者の要求には一通り答えられた。

売店もそこら辺のコンビニなんかよりは品揃えが良い。

別に食事制限をされてる訳でもないし何か軽いもんでも喰うか、と寝台から抜け出そうとするとやんわりと押し止められた。

思いがけない制止に、自然とほんの少しだが声が低くなる。



『・・・・何だよ』

『宍戸さんとデートっていうのも美味しいんですけどね?
 安静にしてないとだめです。看護婦さんにまた怒られちゃいますって』



この前も外出てたから、怒られたんでしょ?



『・・・・何でお前が知ってるんだ・・・・』



先日、あんまりにも暇なので病院の庭先でうとうとしていたら大事な検診の時間をすっぽかした。

患者の症状が症状だから屋上に行ったのでは?! と、一騒動を起こしたらしい為に散々怒られたが。

だがその日、長太郎は来なかったから知らない筈だった。

胡乱気な眼で睨んでやれば、大して気にもしないで得意げな顔をする。



『だって』



一歩詰め寄って、こそりと耳打ち。



―――――宍戸さんの事が大切だから何でも知りたいって言ったら、教えてくれるんですもん。



『と言うわけで、大人しく待っていて下さいね?』

『っんのアホ!! 何を公言してやがる!!』



手元にあった枕を投げつけようとして構えたが、

すぐ戻りますから〜!との声だけを残してあっという間に射程外へと逃れ、ぱたぱたと廊下を遠ざかっていく音が響いてきた。

素早いことにゴミ袋を抱えて。



『激ダサだ・・・・』



一体何を言ったのか。

訊いてみたい気もしないではないが、恐ろしくて訊けない。

そう言えば最近、長太郎に関して看護婦達が何となく生温かい対応をしていた気がする。

それと全く関係が無いとは思えなくて、もう普通に彼女達と顔を合わせられるかどうか自分自身が疑わしかった。

溜息をつきつつ手に持った枕を戻せば、花瓶の花が僅かに揺れた。



『・・・・ゴミ、まだ残ってんじゃん』



見ると、かなり大雑把だったゴミの集め方のお陰か、花瓶の周りに小さな屑がそこかしこに残っていた。

葉の破片に、輪ゴム。

落ちてしまった茎。

水にふやけたせいで破れた包み紙の端切れ。

丁寧とは言い難い所業の痕跡に苦笑しながら、一つ一つ摘んではゴミ箱へと入れていく。



『?』



そうしている内に、花瓶の底へ隠れる様に何かがひっついているのを見つけた。

それは、綺麗な淡い黄色の紙。

花瓶に浮いた水滴のせいかぺっとりと付いて、字を透けさせ、色を濃くさせていた。

何故だか気になって、その薄黄色を自分らしくなく慎重に慎重に剥がした。

指先が僅かに湿る。

剥がしていく内に、それが"ゴミ"では無い事が判る。



『何だろ、これ・・・・』



重なり合った幾つかの紙片。

恐らくは何らかのメッセージカード。

うっすらとインクが滲んではいたが読めない事はなく、パズルのように組み合わせると大体の意味が読み取れた。

そこには女が喜ぶだろう、添えた花に相応しい可愛らしい花言葉。

誕生日に、花に、花言葉に。

相応しいそのカードに唯一そぐわない事と言えば。



『・・・・長太郎?』



―――――ただ、それが明らかに破られていたことだった。











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柚様のご希望(?)により日記から移植・改定の死にネタ未遂とゆうか、サナトリウムネタSSS第一弾。

実はこのSS、過去に埋もれさせるつもりだったのですが、
『綺麗に纏まっていて好き』とのお言葉を頂き調子に乗って焼き直してみました^^
「焼き直したら悪化したんじゃ?」とか言われてそうですけど・・・・;(←や、絶対言われてるって。)
何かもう、元のSSSとは別物ですが、宜しければ柚様に捧げる所存でございます・・・・;;

そう言えば。
改定にあたって、最初は鳳さん視点で進めていたのを、
どうにも進まないとゆうことで宍戸さん視点に変更。
何でか知りませんが凄く楽しかったです・・・何でだろう?;

あ、続きは多分書けたら書きます。(←書けよ。)


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