『……』
忍足の話を総括するとこうらしい。
新入生が入って間もない仮入部期間の個別試験の時。
昔からレギュラーの間で、毎年秘かに行われていた "賭け" が有ったらしい。
それは、テニスコートが一望できる交友棟の屋上から観るだけで、将来氷帝を担うだろう後輩を当てる事。
賭けるチップは己のレギュラーの座。
初見の、データの無い後輩達の試験風景のみで見極めねばならない。
顔なども勿論はっきりとは見えない位、此処からは直線距離すらかなりの距離がある。
しかし将来、正レギュラーに上がれる者は不思議と良く中り、
逆に準レギュラーのままで三年間を終える者や、最悪レギュラー落ちする者は外れるらしいのだ。
いわゆる、ジンクス。
一種の伝統。
一種の運試しの様なモノ。
『……』
『そゆコトや。』
『うさんくせぇ……』
そんなの出来るなんて既に人間じゃねぇだろ、いつからテニス部は預言者の集まりになったんだっつの。
と開口一番に呟けば、忍足の苦笑と向日の非難が返って来る。
『んだと、宍戸!! 俺らはちゃんと歴代の先輩達に訊いてきたんだぞ!』
『まぁまぁ、岳人。いきなしそないなコト言われても信じられへんコトもあるやろ?』
『でも!!』
『宍戸はえぇから、一年良う見とき。
岳人だけ落ちたら俺のダブルスパートナーどうなるん?』
俺、寂しゅうなるなぁ。
そう、しんみりした声音で乱れた髪を直す様にぽんぽんと撫でる。
何故だか芝居染みている気が、いやそれよりも、幼児に対する宥め方に見えるのは気のせいではあるまい。
『……判ったよ。てゆか侑士、お前こそ宍戸のヤローにかまけて外しやがったら絶対許さねぇからな!!』
こんな扱いでよく引き下がれるな。
つうか簡単に騙されてねぇか、お前……。
俺の内心の声なんて知らない向日が、最後に俺を一睨みして、より良く見えそうな場所へと足軽に駆けていく。
キリ、と俺と同じくキツイ一重の眼が、切り揃えられた髪の向こうにあっという間に消えた。
しかし最後に見せていった、絆された証拠の様な子供っぽく脹れた頬で凄まれても怖くはなかったのを、
果たして向日は気付いているのかどうか。
『……んで、本気なのかよ。』
視線を向日の白いシャツの背中から逸らして、意識を横の男に移して切り替える。
初めて知った伝統に呆れ半分、驚き半分。
滝や慈朗の方へ邪魔をしに行ったかと思いきや、彼らの横で大人しく後輩を見ている小柄な姿は真剣そのものだった。
あの真剣さを少しでも授業に生かせば、考査前の修羅場から逃れられるのではないかと思ってしまう程。
静かに頷く忍足に、溜息がまた一つ出てしまう。
去年、自分達も知らない間に品定めの対象にされていたかと思うと胸中複雑だ。
寧ろ何をやっているんだと頭が痛くなってくる。
『本気や。―――――だから、跡部は此処におらんのやろ?』
……あの子、正レギュラーやから。
溜息と気鬱を気にする風でもなく、
ほら、と示されたのは群れ居る一年生達と平部員の中で、部長と顧問に遜色なく並び立つ蒼いレギュラージャージの。
『何で、跡部が下に居るんだよ。』
『研修やろ? もう次期部長に決まったらしいで?』
早ぅ追いつかんとなぁ……
『忍足?』
『あぁ、何でもあらへんよ』
全ての感情を削ぎ落としてしまったかの様な、一瞬の表情と声。
しかしすぐに何事も無かった様に、普段の柔らかい微笑を纏う姿を見てしまえば何も言えなかった。
『……』
『なん? まだ信じられへんの?』
『……そりゃあな。』
『宍戸らしいって言えばらしいんけど。』
容赦ない春風が前へと髪を運んできたのを、片手だけで押し戻す。
同じく忍足も、前髪ごと手で抑えていて苦労をしている様だった。
襟元の髪を軽く払うと、シャツに入り込んだ髪が首筋を掠めて自由になる。
『まだ入っとる。』
『ん、サンキュ。お前も。』
『おおきに。』
まだ張り付いてたらしい長い一筋を、白い指先の背に引っ掛けて取り出されて。
そのお返しに、いくらなんでも酷すぎた髪の乱れを直してやった。
そうしておいてから、長い髪同士お互い大変だな、と見合わせて苦笑を零した。
『でもな、宍戸。俺は、』
だが、その苦笑に紛れさすが如く言葉が継がれた。
今度は掬い取るようにして、また俺の髪を一房攫っていく。
『あながち、このジンクスめいた伝統も間違っておらんと思うんよ』
"相手に" と言うより、"自分に" 言い聞かせると言った表現の方が相応しい、静かな声。
殊更ゆっくりと翻された手がさらさらと髪を零していった。
『何で。』
『凡人にしてみりゃ駄馬も名馬も皆同じ馬にしか見えへんって言うたやん。』
『それ、去年の漢文か?』
『そや。"優れた鑑定人がいて、初めて名馬は見出される" んやで?』
去年のいつ頃の授業だったか。
題名こそ浮かんでこないが、確かそんな事が本旨だった様な気がする。
世に名馬が現れ難いのは貴重だからなのではない。
名馬は何時の時代にもいるが、名馬を見分けられる人間がいないだけなのだ、と。
だが、それがこの"賭け"と何の関係が有ると言うのだ。
仮令関係があったのだとしても、俺達は鑑定人の側ではないだろう。
名馬なのか、それとも只の駄馬なのか。
間違いなく鑑定される側だと返せば、また緩慢とした所作でコートへ視線を遣って、
『確かにそうやけど。
けど優れたプレーヤーは、相手を良ぅ見極める観察眼を持っとるもんやし……、』
遥か遠く。
後輩を見るでもなく、唯一点。
唯一点のみを見据えた忍足は、柔らかい日差しの下で眩しいものでも見るかの如く漆黒の瞳を眇めたかと思うと、
少し泣きそうにも見える顔で微苦笑を浮かべた。
オ
『たくさんの人間が居る中で、たった一人だけを選ぶんよ?
何かに賭けてみとぉない?』
―――――他愛の無い、何の根拠の無い賭だと知ってはいるんやけど、な。
『それでも、縋れずにはいられへん。』
其処に在るのは、手が届かない者への切望だ。
他愛の無い賭にすらも願ってしまわずにはいられない、そんなものにでも縋らねばいられない程の。
普段は飄々としたこの男でも、そんな表情で語る程の強い想いを持っていたのか、と今更ながら知った。
相手は言うまでもなく、今、下にいるあの男だ。
二百人を越える部員の頂点に立つ部長の横に並び立ち、
そのくせ場にいる誰よりも凄烈な印象と君臨する者の威厳を与えてくる焦茶の髪の。
―――――俺達の、一番身近で強大な目標。
『……お前……』
くだらないモノに己を託す弱さはこの部には必要ない。
第一、そんなんじゃ生き残れなくなるだろう?
欲しいならばあの男のいる高みを目指して足掻けば良い。
其処へ至る事が出来る筈の実力を、コイツは少なくとも持っている。
だが、そう言おうとして止めた。
そんな事は判っているのに、それでも尚、そう思ってしまうだけなのだと判っていた。
恋とか執着とか、俺にはあまり馴染みのない感情だけれど、"強さを求める"―――――それだけは身をもって知っていたから。
『……判ったよ。で? 決めたらどうすんだ?』
そして。
追求するのも、忠告するのもお節介だろうし、結局は当人同士の問題なのだから自分に何か出来る訳でも無い。
自分にそう心の中で言い訳して言葉を呑み込んだ俺に対して、
何かキツイ一言が来ると覚悟していたのだろう忍足が、
一瞬だけ眼を見開いたがすぐにいつもの微笑を湛えて何事も無かった様に振舞い、
『此処で "宣言" すれば良ぇんよ。俺らに言葉に出して言えば良ぇ。』
簡単やろ?
とだけ言い残すと意識を俺から切り離した。
整った横顔はもうコートに在るだろうモノしか見えてはいない。
生温い風が吹く。
沈黙が落ちたコンクリートの間を、遠くから響く昼下がりの喧騒とコートのざわめきだけが埋めて行った。
- - - - - - - - - - in to the 邂逅1 -- NEXT
Next→Coming Soon………
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やっと出ました。邂逅2;
最近忙しかったのも有るのですが、元原稿から忍足さんが出張りまくったので、かなり時間がかかりました。
時間がかかった割には……と言うツッコミを甘んじて受け入れたてしまいたくなるココロです。
今回も鳳さんが出てきません。(何やってるんだ?)
当然鳳宍未満な訳ですが;
そのかわり何故か忍跡、忍→跡になってしまいました。
元原の方でもそうだったんですが、更にそうなったと言うか。
宍戸さんを追っかける鳳さん、跡部様を追っかける忍足さんが素敵だ!!
多分、そんな意識が働いたのでしょう……。
てゆうか見直すと、忍宍にも見える箇所があって微妙……;
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